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とある蛇足の思考実験(ゲダンケン)

思考実験(gedankenexperiment)。テレビ放映された「とある」シリーズをベースにあれやこれやといろいろと妄想を膨らませてみるBlog。

   
カテゴリー「第一~六話」の記事一覧

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トータル・リコール

 神裂さんが最初に、インデックスさんの完全記憶能力について解説するところですが、これは恐らく、嘘です。

「街路樹の葉っぱの数から、ラッシュアワーであふれる一人ひとりの顔、雨粒の一滴一滴まで~」

人間の脳の機能や心の仕組みなど、現在でも未解明の部分に入る上に、その能力の特殊事例ですから、随分と憶測が混じってきてしまうのですが、「完全記憶能力」というのは、単に記憶が細かいとか多いとかそういう問題に絞りきれません。簡単に言うと、感覚、記憶、想起の3つが綯い交ぜになっていると言えます。
例えば「雨粒の一滴一滴」が本当ならば、超人的な動体視力が必要になります。劇中でインデックスさんが、際立った動体視力を発揮する場面はありませんし、いくらなんでも微速度撮影の領域にまで人間が入り込むと言うのは・・・些か。もしそうなら、目を見張るべき特殊技能になるはずです。
インデックスさんが記憶したのは、高々10万3000冊の本の内容です。1冊程度なら常人でも或いは暗記できるのではないでしょうか。そういった特徴を伸ばしたものに過ぎないはず。
「街路樹の葉っぱの数」というのは、恐らく人間には数えられません。葉っぱと言う葉っぱを落とし、丸裸にしてから一枚ずつカウントしない限り、です。普通に街路樹を見た人間は、街路樹全体(または一部)の曖昧な映像と、それをクローズアップしたポイント数点くらいしか認識しません。目の焦点が合わないと、葉っぱを葉っぱと認識することすら難しいはず。焦点の調節機能と言うのは案外と遅いです。つまり、何らかの形で超人的な視覚的特長を有していない限り、「街路樹の葉っぱの数」を数えることは不可能であり、数えられない以上記憶することは不可能です。
「ラッシュアワーであふれる一人一人の顔」というのは、微妙な表現です。普通にそこを通り過ぎるだけならそんなその他大勢の人間の顔は見ません。誰かと一緒ならば対話相手に注視するでしょう。ラッシュの人ごみすべての顔を「見ること」が、先ず不可能です。ただ、もし彼女が、ラッシュアワーで行き交う人の群れを観察していたなら、この文章は誤りであると言い切れなくなりますが。

全体的に、完全記憶能力が、必要以上に大量の記憶を取り込んでいるように誤解させるバイアスがかかっていると見ていいでしょう。
上条さんに、その脳の危険性を説くシーンですから、それも仕方ない。
ただ、神裂さんは「脳の85%を魔導書の記憶に使い、残された15%では一年分の記憶しか出来ず、一年経過すれば脳が記憶に圧迫されて死に至る」という大嘘を信じ込まされていますから、この完全記憶に関する解説も、ネセサリウスに吹き込まれたそのままを語っていると思ったほうが妥当です。

実際の完全記憶能力は、どうやら過去にあった出来事や会った人などを昨日のことのように思い出せる程度のものを言うようです。どちらかと言うと、完全想起能力とでも言うべきでしょうか。記憶しても、思い出せなければ仕方ないですからね。
何れにせよ、問題は科学では扱いきれない人の記憶の分野です。あまり細かいことには触れずに締めようと思います。
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人払いのルーン

 以前敗走したルーン文字の意味について。リベンジです。

「人払いのルーン」と言うのが妙な表現だというのは先にあげました。間違いないです。人払いと言う意味を持つルーン文字はありません。つまり、これはルーン文字そのものを指すわけではなく、それを使った魔術の名前になります。実際に張ってあるのはオシラなどと呼ばれるルーン文字一文字で、「王国、領域」という意味を持ちます。つまり、「ここは自分の領土だ」と宣言することで「何か」を実現させているのだと思われます。この場合は、人の注意を反らし近づきたくなくするわけです。ルーン文字とも近い意味合いを持つので、それほど難度の高くない魔法に見えますね。
ただ、作品中で明確に「王国、領土」ではなく「人払い」と限定しているのには意味があるでしょう。つまり、結界などの特殊な効果を持つ空間を作ったりといった「強力な魔法」ではない、と言えます。見せ場にもあまり用いられませんし、どこか気軽に使っている風に見えます。「王国」「領域」と銘してしまってはそういう扱いは出来ないし、しないでしょう。
後にステイルさんが生詠唱するシーンがあるのですが、少なくとも一般人には効果覿面でした。どういう方法で「人払い」を免れるのかはわかりませんが、今のところ(セカンドシーズン終了時点)破られたことはないようですし、その反面、破られるような危険な場面では使用しません。いろんな意味で「邪魔者退け」でしかないのでしょう。
人払いのルーンが使われる場面は多いのですが、初出の時点では、見様によっては神裂さんが使用しているように見て取れます。しかし、後からきちんとステイルさんが登場しますし、話を聞いていたらしき演出もあります。やはりルーンを使った魔術は「ルーンの魔術師」が専門のようですね。

イノケンティウスを使用するときに貼り付けていたルーンについても補足します。
これはルーン文字二文字が描いてありますね。それぞれケン(松明或いは腫れ物)、アンサズ(神)のルーンです。イノケンティウスに相応しいチョイスですね。
二文字あわせてイノケンティウス自身を表していると言う解釈も出来そうですが、そうすると不規則に何枚も貼り付ける説明がつかなくなります。以前触れたように、ルーン自体がダメ押し的に重複して描かれるものだったこと、その一部を幻想殺しで剥がしても魔法に影響がなかったことから、魔法陣のような微妙な歪みですら大きな障害となる繊細な儀式の一部ではなく、大量に使用することで術士の魔法を増幅する用途であるとするのが正しいでしょう。ルーンも必要ですが、つまるところはステイルさん自身が魔法の最大のキーであると思われます。

本題とは外れますがもう一つ。
以前イノケンティウス使用中はステイルさん、滅多に魔法を使わないと言いましたが、例のお話で見事にイノケンティウスと紅十字の挟撃で上条さんを追い詰めてましたね・・・迂闊。
後の展開でも、稀にステイルさんは複数の魔法を同時に使います。詠唱自体を同時に行うのではありませんが、他の魔法の発動中に別の魔法を使うことがあります。特に一つに集中する必要が無いのかまでは今のところわかりませんが、少なくとも目立った連射を行うことはないようです。連続詠唱の必要性がないからかもしれませんが、・・・まぁ、そういう高等技術は後々の見せ場のために伏せておくに越したことは無いですね。

第三話・それぞれの思い

 今回はややBlogの主旨から逸れがちな内容でもあり、かなりの長文になるので軽く隠します。

異文化コミュニケーション

 回復が終わって、翌朝。小萌先生が出掛けて、インデックスさんのカミングアウト大会です。
ここでいきなり、小萌先生が魔術をもう使ってはいけない、という話が飛び出します。どうしても禁じ手にしたいのですね。まぁ、先ほどの魔術はあまりにも威力が高すぎました。瀕死の重傷を負っても10分そこらで完治されていては、傷を負うこと自体の意味がなくなってしまいますしね。物語開始間も無く、負傷の意義をなくしてしまうことは、戦闘の緊迫感そのものを殺してしまいますから、当然といえば当然の措置です。
しかし、ここでのインデックスの解説は、手心を加えていると考えるべきです。本人の意向としても、これ以上人を巻き込みたくは無いはずですし、対話相手の上条さんにしても同意見だと確認していますし。
なので、「魔法のような異文化を取り入れることが毒」というのは、方便であると捉えるのが正確かと思います。ストーリー的には、魔法は魔法使いが使うもの、超能力は超能力者が使うもの、として奇麗に整理する狙いがあります。個性化、キャラクタライズですね。
よって、「魔導書を読むだけで脳やら神経やらが焼き切れる」というのは恐らく、嘘です。
なぜそれが嘘なのか、なぜそんな嘘をつくのか。
先ほども挙げたとおり、意外な戦闘力の発現を防ぐためですね。科学サイドと魔法サイド、奇麗に分かれていてもらわなくては厄介になるのです。これを明確にルール化することで、アレイスター本部長や土御門さん、エリスさんの存在を、より異質化させることが出来るからです。彼らは科学と魔法の融合をそのまま行おうとしているわけですから。表側である上条さんのシナリオ上で、黒幕と同じ行動を採らせることは、無用な手間を生んでしまいます。
もちろん、これはストーリーテラー側の思惑に近い解釈ですが、インデックスさんや上条さんも、当面は小萌先生を巻き込むことの否定、また、インデックスさんを目立つ場所に立てることの回避にも繋がります。ここで魔法と科学を混交させてしまえば、当然予測もつかない事態に陥り、手に負えなくなって学園都市の住人を次々に巻き込む破目になることは、朧ながら予想できることですし、そうなれば当事者に近いインデックスさんに注目が集まってしまいます。インデックスさんにしてみれば、自分自身のために周囲に争いを誘発する行動に他なりませんから、もし上条さんが魔法と科学の融合に興味を持ったとしても、断固拒否したはずです。
つまり、二人とも、穏便に済ませたいわけです。
よって、各人とも、魔法と科学については思うところあれども、とりあえずは筋が通りそうな理屈があるだけで充分なのです。それが真実である必要性はなく、同時に、相手の善意を信じていることになります。
また、「魔導書を読むと脳やら神経やらが焼き切れる」というのは、ストーリー上で度々登場する表現ですが、これも方便であるとしても大丈夫でしょう。そのあたりはセカンドシーズンで闇咲さんが挑戦していますので、その機会にでも譲ろうと思います。

魔導書を危険なものとして認識させるための方便として、そういう表現がなされるわけですが、インデックスさんから魔導書を奪い取る行為自体、危険な行動そのものなので、警告する価値は当然あるでしょうね。
ありきたりな表現をすれば、魔導書を手に入れて読んだとしても、また長い時間をかけてどういう手段を用いて研究しても、魔法を真の意味で執り行うことは出来ないでしょう。ほとんど無理なのです。
インデックスさんが「文化」という言葉を使っていましたが、いい表現だと思います。
どんなに言語を勉強しても、渡航して住み暮らし、衣食住といった"文化"に馴染もうとも、人間には絶対に獲得できないものがあります。そういう意味での文化なのだと思います。それはつまり、その国で誕生し、成長したことではじめて備わる、幼児体験のようなものです。その体験に基づいてその国の"文化"を味わい、言葉や表現に表しきれない「ニュアンス」のような経験。それを十年以上、若々しい脳に蓄積してきたという高い高い壁。その村その町、その国で生まれ育った人ならば当然持ち備えているのに、異邦人には絶対に得られないもの。・・・そういった「基礎概念」がないと、魔法の真価を現すことは不可能なんだと思います。
まぁ、そういったものを緻密に説明することも或いは可能なのかもしれませんが、副産物として安易な外国人差別がついてくるので、出版物では避けたほうが賢明でしょう。
ただ、魔法の真似事をするだけでも、ある程度の「それっぽい効果」は出せるかもしれません。でも、それはプラシーボ効果に近くなり、他の解釈で説明できてしまう程度のものに矮小化されているはずです。同時に、そんなことを物語り上でやってしまっては、魔法というもの自体の威力を疑わしくしてしまい、その再確認のために余計な回り道をしなければなりませんから、エピソードとして登場することはないのではないでしょうか。
例外はあります。「魔法」というものの原理を知り、儀式そのものを論理的に解決できるほどの人物ならば、魔法をかなりの精度で再現できると思われます。それは別名「魔導師」です。この場合、魔導師は魔法を再現しているというより、魔法を創り上げていると言ったほうが正しいでしょう。まぁ、別格です。ずっと先でそれと思しき人物が登場しますが、果てさてどれほどの腕なのでしょうか。

このように、「魔導書を読んではいけない」という解説には、相当ぶっちゃけた長い時間が必要になります。
そのため、方便を使うことでそれを回避しているのでしょうね。

回復魔術

 第三話でヨハネのペンの指示で小萌先生が発動した、回復魔術について。

その前に、ヨハネのペンについて少し書きましょう。
恐らく、ヨハネの自動書記のことでしょう。記憶が曖昧ですが、使徒ヨハネに天使が降臨して聖書かその原本の一部を筆記したという逸話です。これを応用して、インデックスの肉体に何かを憑かせ、魔術的に正確な対応をさせているのだと思われます。
起動はオートのようなので、想定される状況におかれると自動的に魔法が発動するように、恐らくインデックスに複雑な魔法をかけているのでしょう。後に幻想殺しによって結界が破壊されますが、それがヨハネのペンだった可能性は高いです。これは10万3000冊の魔導書を守る以上に、インデックスを保護する要素が強かったと思われるので、ちょっとどうだかなぁ、とは思います。ただ、この魔術がインデックス自身に負担をかけているとのことなので、致し方ないのかもしれません。あまり物語中では出てきませんが、強硬穏健派でもいたなら、インデックスは殺すに越したことは無い危険人物です。利用用途も見出せていないままその命を永らえさせたのは、むしろ慈悲にさえ思えるのですが・・・。

話が逸れました。回復魔術に戻るとします。
全体的な感想を言うとすれば、非常にオーソドックスで丁寧な描写をしていて、見ていて嬉しくなるほどです。
ただ、呪文についてはやや乱雑な感が否めません。どちらかというと、「早い」ですね。まぁ尺の問題もあるので、そこは追求してはいけないのかもしれないです。
小萌先生の即席術者っぷりも見事です。普通、この状況でここまでヨハネのペンの指示を素直に飲み込めません。怖がって当たり前です。詠唱やイメージングへの集中力も凄まじい。本当にインデックスさん(ヨハネのペン)を信頼して、完全に魔法使いになれています。土壇場で上条さんが彼女を選択して、本当によかったです。もう、彼女の人間性のなせる業としか言いようがありません。
反面、ヨハネのペンさん、随分と強引且つ乱暴です・・・。自棄とか駄目元とか、そういう言葉のほうが似合います・・・インデックスさんにとってすら初対面の小萌先生に対して、文化や信仰の問題などまでまるで鑑みていない様子です。部屋の縮図についてもかなりいい加減です。部屋には本が散乱していますが、魔術的に見て、本は非常に大きい意味を持つはずです。それも、小萌先生の蔵書ですから、随分と超能力に関する書籍があったはずなのに。テレビも、魔術的に解釈が難しいもののはず。・・・布団の量については、触れないでおきます。
とにかく、魔術を行う場所というものは、相当気を遣ってきれいに整えるのが普通です。その割りに部屋と縮図とのリンクはあっさりとクリアしました。これはもう、やはりインデックスさんに降ろされたヨハネのペン自身が、只者では無いと言う以外に解決法はありませんね。彼女はこの式に於いて術者ではありませんが、施術対象でありながら儀式の補佐役を務めています。小萌先生の卓越した即席術者適性あっての話ですが、こんな豪華な補佐役というのもないということなのでしょう。儀式は5分~10分ほどで解決しているはずです。しかも、傷は一瞬といっていいほどの速度で塞がっています。この儀式、実に畏るべしです。
正直、15分なら或いは医術で手当てできたかもしれません。全快までに15分ではないですが、要はインデックスの命を取り留めることが目的ですから。プロの外科医なら、傷口の縫合と消毒、そして輸血までそんなに時間もかからないと思います、20~30年先の科学技術ですし。もちろん、秘密の漏洩と、血液の交雑という問題があるので、ベターではなかったですが。

もしかすると、キリスト教魔術について馴染みが薄い方もおられるかと思いますので、蛇足の解説をします。
日時の確認ですが、これは星座の位置を把握するために行った側面と、昼と夜などといった時間の属性を知るための側面があると思われます。因みに、分秒まで正確に知る必要性は薄いです。
星座というのは、儀式場の位置と方角の関係を、簡略化して把握するためのものでしょう。また同時に、黄道12星座には対応した天使や属性、意味が割り振られています。魔法を簡単に強化するために、それらを借りることはいい方法、というか基礎的な行為になります。
以上の情報を元に、ヨハネのペンは術式を選択し儀式の方法を計算したのだと思われます。
血で魔法陣を描いたのは、その場に魔法陣を描ける素材を見出せなかったのもありますが、血文字というのが強い意味を持つためでもありますね。基本図形が五芒星というのは、恐らく天使を用いたキリスト教魔術だからです。周囲に配された呪文は、アルファベットですが、英語では無いようですね。ギリシャ語かヘブライ語でしょうか。アルファベットを用いるあたりは、イギリス正教由縁ですね。
「ブルーカラーのウンディーネ」というのは非常に魔術的な単語です。ウンディーネは水の精霊で、カラーというのは色属性、要するに儀式で見る光の色とでも言うのでしょうか、儀式の構成要素を挙げているわけです。つまり、「これを思い浮かべてください」という意味です。天使の名前「へるへいむ」というのは、寡聞にして知りませんが・・・天使と精霊を同時に用いるあたりが、キリスト教魔術らしくてよいです。本来なら、キリスト教は精霊の存在を認めません。当然、キリスト教魔術というのも、ベースがキリスト教であるだけで、キリスト教のお墨付きというわけではもちろんないです。キリスト教の庇護下でこっそりいけないことをする、という感じですね。イギリスというのはキリスト教国家であると同時に、ケルト文化を擁する魔法の国でもあります。妖精や地脈など、そうした土着の文化とキリスト教が混交した感じになります。キリスト教魔術(イギリス版)はそうした文化の寵児と言うわけです。
あっさりと成功した「神殿の構築」ですが、これは魔術を行う儀式場を整えた、という意味です。本来ならかなりの努力労力をもってして、はじめてこれを成し遂げるくらいに大変な作業です。小萌先生の散らかった部屋で、よくもこんなにすばやく場所の聖別をし終えたものです・・・もちろんですが、施術の時間を正確に計算して、魔術の継続時間を極限まで切り詰めた結果なのでしょう。魔法の本質を知り経験豊かであるヨハネのペンにしか出来ない荒業です。
詠唱する呪文についてですが、恐らくですが、前段階をすべて省いてますね。本来ならこの前に長い長い儀式場を固定するための呪文がいくつもあるはずなのですが、それらを省略して、魔法の本質、ピーク部分に当たる詠唱だけを突然行っているものと思われます。熟練術者にしか勧められない乱暴さです・・・小萌先生、本当について来れてすごいと思います。
次にイメージの固定。ヨハネのペンは「実際に天使を呼び出すわけではない」と言っていますが、これは小萌先生を説得する最短の台詞であるだけで、実際は天使を呼び出しています。イメージを作るというのは言わば「頭の中にレプリカを作りこんで行く」作業であり、そのレプリカを通じて、この場合「窓」程度の役割を担わせ、「窓」越しに天使の働きを請うています。天使からすると、自分の姿を思い浮かべて祈っているように見えますね。そしてそこから自分を呼んでいる。なので、その天使の力の一部を借りることが出来る寸法です。
因みに。
魔法の実行後にヨハネのペンは唐突にその任を解き、停止しますが、本来は魔術終了の儀式を行わないと駄目です・・・力を借りておいて、ありがとう、お帰りくださいもなしでは、天使や精霊の不興を買うこと間違いなしです。もしかしたら映像化されていない部分でそれを行ったのかもしれませんが・・・。なんとなく、「祭りの後」的な雰囲気の描写のほうを優先したのかもしれません。インデックスさんに戻ったことで、視聴者は魔法完遂を感じ取ることが出来ますしね。

結論としては、小萌先生すごい。です。
魔術を使うために必要な資質を、あの短いヨハネのペンとのやり取りの間で鋭く見抜き、その異文化を淀みなく受け入れることが出来たのですから。凄まじい器の大きさです。
いろんな意味で、彼女なくしてこの物語は成立しませんね。

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精神毒
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男性
自己紹介:
 精神毒(Platonic-Poison)。神経毒ではありませんからご心配なく。勿論ただのハンドルネームなので、思いつきで変えるかも。
 「とある魔術の禁書目録(インデックス)」「とある魔術の禁書目録(インデックス)II」について書くつもりです。「とある科学の超電磁砲(レールガン)」についても触れるつもりですが、どこまで書くのかはわかりません。
 アニメ版限定でお送りします。ライトノベルや他のメディアミックス関連には触れないつもりです。また、極力他サイトの情報は(アニメ版より早く知るとつまらないので)読まない方針です。
 ちなみに、フィギュアは要らない派です。

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